日記4
書き出し
ここ最近がツラくて大手企業を退職したことを後悔している。
でもきっと残っていても意味のない時間を過ごしていたからツラいのが遅いか早いかな気がする。
友達と飯食った
無職になって日が経った。
転職活動は適当にやっているがまぁ芳しくない。
転職するには若すぎたのかもしれない。
今まで、実績はしっかり出している。
今26歳だが、同じ年齢でここまでの経験をしているやつはほとんどいないと自信を持って言える。
経験不足とか能力不足みたいな理由で落とされたことがあったのだが、びっくりするのを通り越して苦笑いしかない。
自分が採用やってこともあり、面接官というものを信用してないし、社内情勢でいくらでも変わるのでしゃーないなという気持ちだ。
とはいえやはり普通に傷つくので友達に飯を奢らせることにした。
こいつは以前一緒に住んでたこともあるし、人の前で友達だと言える数少ない人間だ。
僕が新卒時代の絶賛鬱の時代も知ってるのでケツの毛の数まで知られてるような間柄だ。
職がどうこうという現実的なことについてはもう僕がやるしかないので相談しなかったのだが、メンタリティとか価値観とかキャリア形成とか幸福論とか相対評価とかそういう話をした。
僕は20年後の自分の稼ぎについてものすごく不安で信用がない。
数十年後に格差が広がった時に富裕層の側にいたいという気持ちがあり、今ここで足止めを食っていることで酷く焦っているという旨を話した。
そのための指標は定量的なところで言えば金、定性的なところで言えばキャリアとかそういうものだ。
でもそれって際限なくない?って言われてそうかもしれないなと思った。
息継ぎせずに金稼ぐことを考えたり、最強のキャリアを作るために毎日考えていたりいるのは正直ツラい。
「そうなりたいから」ではなく「こうなっていたくないからやらないといけない」という理由で動いているのもその大きな理由の一つだとも思う。
もし息継ぎなしでひたすら潜り続けることができた結果、金を求め続けた成れの果てがTwitterで金を配るおじさんになった時、それまでの道のりを思い返して後悔があると思う。
社会人になって4年目だが、多分ほとんどの期間めちゃくちゃ仕事してた。
事実として実績としても人の3倍働いて実績もだしてきた。
そろそろキャリアについて不安になるのはやめようかと思う。
この無職期間が良い例で仕事以外について幸福に思えることを複数獲得すべきだなと思った。
何に幸福を見出すべきか考えたが、多分死ぬ時のことを考えるのがまずは良いかなと思った。まぁでも正直それだけじゃない気もする。
死ぬ時にこれまでやった仕事がショボかったら、多分後悔する。
頓着がない分、家とか土地とか一般的な目標に精を出していたら多分死ぬ時後悔するだろう。後悔っていうか悲しくなると思う。
金で買える幸福もやめた。というかもう現時点で欲しいものは全部買って欲しいものがない。
じゃあなんだろうってやっぱり芸術だなと思った。
死ぬ時にいろんな音楽を聞いてきたことを思い出せたら多分幸せだし満足するだろうと思った。
映画は多分違うと思う。関わってる人間の数が多すぎるのが嫌なのかもしれない。
本も違う気がする。形に残らないものが好きなせいな気がする。
絵画は結構良いんだけど、集める系のものは好きじゃない。それはまた際限がなくなる気もするので。
あとはやっぱり友達なのかもしれない。
帰り道、「でもやっぱりこういう柄シャツにサンダルに手ぶらみたいな格好で仕事してるのはすげえ良い」という話をした。
友達も納得してた。
自分はどこか「最強で」「人とは違う」「特殊な」人になろうとしていたのかもしれない。
一時小金を稼いでしまったせいで、そういう夢を中学生ぶりにまた見てしまったのかもしれない。
そうじゃなくて「おもしれー人」になりたいんだと思った。
服装の話は「おもしれー人」の象徴になることだろう。
やっぱりボクシングジム通って喧嘩強くなろう。
ストリートファイト強いって面白くない?
以上。では、また。