1.転職の話〜転職したきっかけ〜

書き出し

ブログ、はじめました。

今回転職についての話をブログに書いてくれ〜という話がありましたので、まとめていこうと思います。

きっとめちゃんこ長くなりそうなのでPhaseを分けて行こうかと思います。

今回は”そもそもなんで転職しようと思ったか”の話です。

故にこの記事は前の職場の愚痴というかヤバいところを淡々とあげるものになると思うので、あまり有用なものではないです。 

本文

事の始まり

そもそもなんで辞めたかですが、結論から言うと仕事でのストレスがエグかったからですね。当たり前なんですけど。

その大元の原因は適切な言い方かどうかはわかりませんが、新卒就職活動の失敗でした。

しかし正直、新卒就活は全くうまくいきませんでした。決して就職活動を始めるのが遅かった訳でもなく、学歴が酷く低い訳でもなく、本当に僕の”就活能力”の欠如でした。のちに改善されるのですが、別の記事で書きます。

3月前からスタートした就活も、結局決まったのは10月の頭でした。

しかも内定をもらった企業は中小企業なのですが、面接の時から妙な違和感がありました。しかし、社会と企業を知らない僕は「まぁそんな企業もあるのか。」とそこまで危機感を覚えてはいませんでした。

内定後〜就職

最も恐怖を覚えたのは、内定をもらった直後でした。

ある時、いつも通りゼミ室に輪読に行くとお中元の包みみたいなお菓子が置いてありました。みんな不思議に思いながら丁寧に包装されているので手はつけませんでしたし、僕も特に触れませんでした。

しかし、教授が入ってきて挨拶もそこそこに輪読開始・・・と思った時、教授が

「これ○○(僕のこと)さんの内定先の企業からいただいたものです。皆さんでいただきましょう(苦笑)」

と。

微妙に静まり返る室内。どこからか吐息のような失笑が聞こえる。

もちろん僕は何も聞かされていませんでした。

そう、内定先の企業は学生である僕になんの連絡もなく、僕の所属するゼミの教授に手土産付きで挨拶に行っていたのです。

なんだこれ。ヤクザのお中元かよ。やり方が気持ち悪すぎる。

しかしその時の僕は激昂したり、面白く言い訳をしたりすることもできず、ただただ周りの失笑に紛れて羞恥心で力なく笑うことしかできませんでした。

「正直辞めたい。あの企業はヤバい。」そう思いましたが、その時の僕は精神的にも家庭の事情的にも体力的にも就職活動を再開することができずに、そのまま就職してしまいます。

就職後

「就職に際して引越しをしよう。」

職場と自宅が遠かったり乗り換えがあるのは嫌だったのでなるべく職場の近くに住むことに決めていました。

そこで就職する直前に、その旨を非常にていねていねていね〜に説明し新宝島の動きで人事に配属される勤務地を聞いていました。人事は「品川になります。」と。ただそれだけ。その8文字送るためだけにわざわざメ ールを使う。本当にIT企業か?

そして、品川付近に住むのは家賃的に不可能なので、とりあえず電車で1本でいける駅にしよう、と品川まで電車で30分程度の駅付近に家を構えました。

しかし、実際に配属先を聞いた時、激昂しました。怒りで手が震え涙も出てきました。

「品川・・・じゃない!品川シーサイド※だ・・・これは品川詐欺だ・・・」

※品川駅から歩いていけるような距離でもなく必然的に乗り換えがある駅。あとなんかダサい。

なんだそれくらいで、と思える内容かもしれませんが、当時の僕にはどうしても騙された、という認識でいっぱいでした。(今やられても普通に怒るが)

ここで辞める意志は固まりました。ここからぼちぼちと気持ち半分で就職活動を始めることになります。

配属後

職種がおかしい

配属後、2週間もして気づきました。

実は僕は本来IT系のコンサルタント業務を行う、ということでその職種の募集枠で内定をいただいていました。しかし実際のところの業務はガチガチのエンジニア業務。しかも4次くらいの下請け。

最初は「知識も何もない新卒がコンサルタント業務なんかできる訳ないだろうから仕方ないな」と思っていたのですが、飲みの席で上司に聞いたところ

上司「いや、一生俺たちはエンジニア。だって下請けだし、募集要項はそうやって書いとけば来る学生増えるから」

僕「ばぶ〜?」

その時、僕は酒を飲んでいたので赤ちゃんになることしか出来ませんでした。

職場の人間が明らかに合わない

当たり前なんですけど、エンジニア職ってオタクしかいません。オタクというか端的に言ってコミュニケーション能力がない人が多いです。僕は学生時代から(ヤンキーを除く)いろんな人種の人となるべく親睦を深めてきました。いろんなタイプの人間がいて対応の仕方も変わることも知っていたので、ある程度までは普通にいける、そう確信していましたが。

無理でした。エンジニア(オタク)しかいない環境、全然無理でした。配属して2日でストレスが限界に達しました。甘く見てました。会話が出来ません。

”「牛乳を買ってきてください。あと、卵があったら6つ買ってきてください。」というおつかいを頼まれて卵があったから牛乳を6つ買ってきてしまう”

というエンジニア界隈の有名な身内笑い話があるのですが、ネタ抜きでず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとこの調子です。もう全然笑えません。めんどくせえんだよ、なんで日常会話もプログラミングの要領でしか会話出来ないんだよ。

限界を迎えた僕は四六時中Windows XPで動く画面を見つめる職場の人間に鼻くそを飛ばすことにしました。

給与が低い

単純に暮らせませんでした。生きていけませんでした。毎月1万ちょいの赤字を出し続けていました。精神的でなく、食糧問題として生命の危機を感じました。

今日日、日本という先進国でこんな飢餓問題が発生するとは思いませんした。その時、確かに僕には南アフリカの子供の気持ちがわかりました。

職場環境

毎朝僕の近くの席のフリーのミーティングスペースで怒鳴っている人と怒鳴られている人がいます。怒鳴られている人は明らかに仕事が出来なさそうな気の弱そうなおっさんなのですが、年齢を見るに僕の父親と近いくらいでしょうか。毎朝2時間弱、無駄に人格を否定されたり、怒鳴られたり、詰られたりなどして泣いてる人間を見るのは鬱屈とします。

ハゲた

これらが積もった結果、ハゲました。

 

真面目に転職活動を開始する

ハゲに命の危機をバッチリ感じ、それからは定時になると誰の話も聞かずに風とともに職場を去り毎日面接のラッシュでした。

有給は使いまくり、無断欠勤無断早退は当たり前で死ぬ物狂いで転職活動を行いました。

幸運なことに最初にダメもとで受けた今の大手会社に内定を頂き、就職しました。(ハゲもなくなりフサフサに戻りました)

給料は倍以上で、職場の人間関係もよく、立地もよく、仕事内容も楽しく、今の所充実してます。

当時の僕は内定をもらった瞬間「や〜めたwwwこの会社や〜〜〜めたwwwwwくだらねえもんwwwだってwwww」と上司に告げ、羽のように軽い足取りでスキップしながら辞めました。

まとめ

あの時の地獄を忘れることはないでしょう。結果的に半年も持たずにやめて正解だったと思います。新卒だからって辞めれない、辞めない方がいいというのは絶対ありません。皆さんも辞めたくなったら辞めましょう。

愚痴っぽくなりそうなので、あまり真面目なことは書かずに軽い気持ちでふわふわ読めるものにしたつもりです。

次の記事では転職面接をどうやって突破したかについて、自分なりにコツが出来たのでそれらについてある程度まともに書きます。

では、また。